みなさんへのメッセージ~理事長対談~
対談6アサヒビール株式会社 専務取締役マーケティング本部長:松山 一雄氏 「点」はいつか、きっとつながる。

様々な分野の著名人をお迎えして、みなさんにメッセージを贈っていただく理事長奥田の対談シリーズ第6弾。
今回お話いただいたのは、鹿島建設からSATO、P&Gといった様々な企業で活躍し、現在はアサヒビール株式会社の専務取締役マーケティング本部長を務める松山 一雄氏。
松山氏は、「アサヒスーパードライ」や「アサヒ生ビール マルエフ」といった有名商品のマーケティングを担っていらっしゃいます。
英語ディベート大会出場経験や米ノースウェスタン大学で経営学修士号(MBA)取得など、海外での経験も豊富な松山氏を招いての今回の対談は、本校の国際バカロレアコースに在籍する生徒も聴講し、質疑応答も交えた講義形式でおこなわれました。
「点は、きっとつながる」。その明るく朗らかに語られる言葉に、新しいことに挑戦する勇気があふれてきます。
ラグビー、英語ディベート、海外就職。夢中になれるものを追いかけて。
奥田
松山さんは様々な会社を経験されて、今はアサヒビールの専務取締役をされていますよね。まずはご経歴についてお聞かせいただけますか。
松山
私は東京の下町に生まれて、今は61歳になりました。青山学院大学を卒業して39年経ちましたが、そのうち19年は海外在住。
マレーシアに6年、アメリカに2年、そしてシンガポールに11年と、結構ながく海外におりました。
奥田
大学を卒業して最初に入社された会社は、大手建設会社である鹿島建設とのことで、大学では英語ディベートなどに力を入れられていたのに、少し畑違いのように感じるのですが、入社した理由はなんだったのでしょうか?

松山
当時は、日本の経済が壁にぶつかっていて、建設業が海外に展開をし始めたところ。「海外で活躍したい!」という人を積極的に採用してくれていた時期だったんですね。
私は最初から海外で働きたいと考えていたので、そのおかげで採用してもらえました。
そのときの勤務先がマレーシアだったんですよ。
奥田
なるほど。そういうことだったんですね。
そういえば高校時代はラグビーをされていたそうですね。先程も申し上げましたが、青山学院大学では英語ディベートに熱中し、全国大会でも優勝したとお聞きしました。英語ディベートを始めたきっかけはなんですか?
松山
当時から海外で活躍できる人になりたいと考えていたので、それなら英語をしっかり学ぶべきだと思ったんです。それでも、「ラグビーを続けるか」「英語に集中するか」、相当迷いました。悩んだ結果ESSに入り、ラグビー部には入りませんでした。そこで初めて経験した英語ディベートの世界に、すっかり夢中になりましたね。でもラグビーへの情熱は、今でもあります。
奥田
英語ディベートは、どんなところが魅力ですか?日本語でもディベートはできますが、あえて「英語で行う」ことにはどんな意味があるんでしょうか?
松山
一つは、ルールがある議論だということです。ただ自分の意見を言うのではなく、どちらかというと裁判のような形で、決められたテーマに対して議論していきます。
テーマに対して賛成派か反対派かは、じゃんけんかくじ引きで決めるんですよ。自分でどちらの立場になるかは選べない。
「今日あなたのチームは賛成派です」といったように決められて、議論していく。
議論の時間も決まっていて、最初に10分間しゃべったら、そのあと2分間は質問を受ける。
そういうきちんとした議論の構成があります。
何のためにそうなっているかというと、ロジカル・シンキングを行うためです。
日本人が苦手としている、とよく言われることなんですが、「論理的に考えて、データも使いながら相手を説得する」、この仕組みを勉強できます。
実際にやってみると、ハッキリと勝ち負けが出るので面白い、というのも熱中した理由です。
もともと体育会系ですから、「全国制覇を目指したい!」と思うようになりました(笑)
最終的に私たちのチームは、全国大会を3連覇したんですよ。
もう40年前になりますか。日米学生交換ディベートという取り組みがあって、その代表にも選ばれました。アメリカから日本へ2名、日本からアメリカへ2名、代表選手が合計25大学ほどを回って英語ディベートをしていくものです。私も、2ヶ月間かけてアメリカの各地を回りました。
奥田
すごい! まるで道場破りですね。
それにしても、ラグビーから英語ディベートへ、そして就職してからは建設会社から始まって情報ソリューション系の企業を経験し、現在はアサヒビールのマーケティングを担っている。松山さんはすごく柔軟に、自分の道を歩んで来られていると感じます。
(生徒に向かって)皆さんは今、なりたいと考えている職業はありますか?
【看護師・エンジニア・マーケティング・海外で活躍できる仕事等が挙がる】
なるほど。みんな、夢や目標があってとても良いですね。
今、やりたいことがあるのはもちろん素晴らしいですが、人は変わっていくものです。松山さんのように、その時々で道を見つけ、活躍されていく方もいらっしゃいます。皆さんの未来が楽しみです。
松山
描いていたビジョンに、まっすぐストレートでたどり着くことは、多くありません。実際にやってみると新しい気づきがあるし、新しい世界を発見できます。
でも、それで良いと思うんです。
寄り道してもいいし、回り道したっていい。人生は一度しかありませんから、自分で決めた道を思うように生きていいと思っています。
奥田
大阪国際が他の学校と違う点は、「夢・目標をもって生きてほしい。自分のやりたいことのために勉強してほしい」と常に教えているところ。
日本の学校は、「大学に入るために」勉強を教えがちです。良い大学に入ったら良い企業に入れる、それが良いのだと、そういう考えが根付いています。
しかし、私は常に自分の夢や人生の目標をもっておくべきだと思います。それが実際に叶うかどうかは別としても、それらは自分の軸になるはずですから。
ところで、松山さんもMBA(経営学修士)の取得のためにノースウェスタン大学に留学されるなど、目標に向かって努力をされていますね。そのときの経験について聞かせていただけますか。
松山
シカゴにあるノースウェスタン大学では2年間、MBAの取得に向けて勉強しました。経営をうまくしていくにはどうすると良いか、そういうことを学び続けたわけですね。
奥田
大阪国際の生徒は、卒業後に海外大学への進学を考えている人もいるのですが、海外で学ぶことについてアドバイスはありますか?
松山
まずは英語ができないといけませんが、英語だけできてもあまり意味はない、ということですね。
アメリカの面白いところで、勉強「だけ」できても評価されないんです。
学校での体験を実りあるものにしたい、その強い想いが大事にされます。
私はビジネススクールの入学試験で、「あなたはビジネスで、今までどんな失敗をしましたか」と質問されました。
成功じゃありません、失敗談です(笑)
「失敗から何を学んだか」「次に同じ状況になったらどうするか」、そんなことも聞かれました。これには面食らいましたね。
当時、「TOEFLの点数が高ければ入学できるだろう」と考えていました。
でもそれだけではなくて、考え方や経験などの、もっと深い部分まで問われたんです。
「学校での勉強以外に何をしてきたか」ということですね。
勉強以外の活動といえば、日本だと部活動が主流ですよね。でもそれだけじゃないんです。地域のコミュニティ活動やボランティア活動など、そういったことも含めて、「どう生きてきて何をしたいと考えているのか」を問われました。
奥田
私もMBA取得のために留学したとき、松山さんと同じことを感じました。
やはり、「何を考えているか」を評価されるんですね。それは同級生たちの視点も同じでした。
例えば会計・経理についての講義だったら、私は数学が得意だったので良い成績を取れたんですが、それは「どうでもいい」扱いなんです。
私はディベートが苦手でしたから、マネジメントについてのクラスでの弁論では「全然話せないじゃないか」と馬鹿にされてしまいました(笑)
私は留学当時、明確な将来設計をまだもっていませんでした。
「何をしたいと考えているんだ」と言われてすぐに答えられなかったのですが、そうなると話し合いのスタートラインにすら立てないんですよね。
だから、知識も大事なんですけれど、「自分は何をしたくてどう考えているのか」、これを明確にもつことは大切だと感じました。
これはアメリカ特有の考え方ではなく、世界各国で共通しているでしょう。